池澤龍作 インタビュー
Oncenth TrioやWUJA BIN BINを始めとする数多くのユニットへの参加、そしてソロと、多彩な活動でシーンを賑わせているドラマー池澤龍作さん。
ジャンルレスに境界線を軽々と飛び越える超絶ドラミングはミュージシャンからの評価も高い。
これまでランドフェスにも度々出演している池澤さんに、自らのルーツとランドフェスについて聞いた。
−−まずは小さい頃のことから。お父上は現代美術のアーティストなんですよね。
インスタレーションやオブジェを制作してました。ネオダダの人たちと付き合いがあって、田中信太郎(※1)さんとかも家によく来てた。
幼稚園のとき茨城に住んでて、よく親父にアクアク(※2)に連れて行かれたんです。
アクアクの人とも知りあいで、そこに絵を飾ったりしてたみたいで。最初に観たのは山下洋輔さん、不破大輔さん、外山明さんのトリオ。ドン・チェリーもそこで観ましたね。
そういえば山海塾もその頃に観てるんですよ。採石場だったのかな?洞窟みたいなところに連れて行かれて(※3)、行ったら白塗りの人がいて(笑)。その時はたぶん5人とかのメンバーだったと思います。そういう人たちを物心つくかつかないかの頃から見せられてた。
−−刷り込まれたと。
そうですね…(笑)。で、中学くらいでそれがすごく嫌になって。ばあちゃんの家に行って、そこで生活するようになるんです。それまでは、ネオダダの本とかが家にいっぱいあって、そういうのに囲まれて暮らしてた。それで、友達の家とか行くじゃないですか。すると全然違うわけ。なんかウチって普通と違うなって気付いて。今となっては普通がよくわからないんですが。
兄弟がいればまた違ったかもしれないけど、一人っ子だったしね。それで、中学校に入って親と離れてからは、テレビゲームと少年ジャンプっていう、憧れの生活を手に入れるんですよ。
−−小学校ではネオダダで、中高生になったら少年ジャンプ。普通と順番が反対ですよね。
そうそう。でも親父の影響は、いま考えてみると、やっぱりありますね。当時は反発してて「絶対こんなのやだ、将来はまっとうな仕事するんだ」って。で、そう思いながら、気がついたら今こうなってて、アレ?みたいな(笑)。
インタビューが行われたのは池袋のバレルハウス
池澤さんが一番落ち着くというお店。曰く、「とにかく、店長の作るメシが美味い!」
−−自分から好きになったのはどんな音楽だったんですか。
最初はファンクとかソウルとかですね。初めて買ったCDはゴーストバスターズのサントラだったんだけど、自分のお金で最初に手に入れたのはアイズレー・ブラザーズの「3×3」。当時、オリジナル・ラブがテレビやラジオで紹介していたいろいろな音源をチェックして、そこから60〜90年代の洋楽を聴くようになったのかな。
−−その時はもうドラムを?
いや、ドラムは小学校の時に、近所のドラム教室で1年間習っただけ。でも音楽をやりたいという衝動はずっと持ってた。で、ある時、新聞で洗足学園の1期生募集の告知を見かけて、その時にかつてアクアクで見た山下さんのことが突如リンクしたんです。それで、そこを受験してみようと。音楽の成績、1とか2ばっかりだったのに(笑)。
−−ちょっと話が戻りますけど、初めて山下洋輔さんのライブを見た時はどうだったんでしょう。
インパクトはありましたね。もちろん細かいことは覚えてないですけど、体が覚えてるというか、こう……振動みたいなものはしっかり記憶にある。不破さんが、ペルシャ絨毯みたいなのを敷いて。その上でベース弾いてて、ビジュアル的にもカッコいいなと思った。
その時のライヴは確か90年代に入る直前だったと思うんですけど。フェダイン(※4)が始まるか始まらないかくらいの……。もうちょっと大きくなってからですけど、フェダインもそこで見ましたね。プロになって、アクアクでやるのが夢だったんですけど、もうなくなっちゃったのが残念です。
−−で、ドラムを始めたのは……。
小学校のときにやった後はしばらく離れて、ギターやってみたりとか。カーティス・メイフィールドの影響でワウペダルが大好きで、ギターじゃなくてワウ欲しくて買ったって感じだったかな、あの時は(笑)。どちらかというとギターとかサックスとか、ドラムじゃないのがやりたかったんですけど、触ったことがあるのはドラムだけだったんで、じゃドラムでいいかな、みたいな。
−−音大に入ったときは、ドラムも含めて特に修得している楽器というのはなかった。
ないですね。ただイメージだけで受けようと。で、受験するから練習しなきゃってことで、一人でソロを練習したり。まあ、第1期だから入れたというのもあるかもしれませんね。結局、(ドラムを選ぶ決め手になったのは)幼い日の記憶にある振動だったと思うんです。……覚えてる振動だけを頼りに決めたというか。基礎だとか、ちゃんとモノにしようとか、そうのは全部入ってから後付けでいいやと思ってた。それから、だんだんドラムという楽器を好きになっていきました。
学校の同期にはピアノのスガダイローさんもいて。あと、スウィングやビバップ、フリーのジャズから、二葉あき子とかちあきなおみの昭和歌謡曲やJPOPまで、家にもの凄い量のCDを持っている友人がいて、そいつは楽器の音だけを聴いてすぐ誰だか当てられる(笑)本当に面白い人たちが気付いたら周りにいっぱいいて、なんかこう安心感みたいな。ああ全然大丈夫じゃん、って(笑)。そこから今に繋がっている感じですね。
様々な音楽性を内包する新感覚ピアノトリオ「Oncenth Trio」
−−池澤さんはダンサーとか、異なるジャンルの人と交流する機会も多いですが、きっかけは何だったんでしょうか。
スガさんとやってたときに、渋さ知らズで舞踏とかやってた松原東洋さんとかとやったのが最初ですかね……いや違う、そうそう思い出した!ダンサーと最初にちゃんと関わったのは、松岡くん(ランドフェスディレクター)と鈴木アイリちゃんとやったのが最初です。公園通りクラシックスで。
−−それでランドフェスとのつながりもできたと。西小山の建築現場で飯森沙百合さんとやったパフォーマンスは特に印象的でした。池澤さんのドラムが建築中の建物の2階、しかもちょっと寸劇的な要素も入っていて。
うん、あれは面白かった。飯森さんは初対面だったけど、まあそういう展開になったからね。あれは本当の意味で即興の空間というか。そもそもどこでやるのか知らされてないし。で、当日どこでやるのって聞いたら、建設中の建物で。えー!みたいな。最初は、もう本番まであんまり時間もなかったし、(建物の)下でやろうって言ってたんだけど、でもどうせなら何か面白いことしなきゃな、だったら上まで(ドラムセットを)運んじゃえ、って。自分が見てる方だったらあそこにあった方がいいな、とか思っちゃったからね。
で、慌ててセットしてたら、隣のアパートに住んでる老人が、ガラッって窓開けて、ワンカップ持ちながら(笑)。でも短い時間の中で与えられた素材や環境を自分達で工夫して舞台を作り上げていくのは面白かった。普通だったらPAさんがいて、ステージがあって、お客さんがいて、共演者もちゃんと知ってる。全部用意されてるわけですよね。でもランドフェスは、よくわかんないまま、じゃあ1時間後に本番やってください、っていう世界(笑)。だから、ミュージシャンというよりは、芸人根性みたいなところが触発されて、どうせだったら一番面白くしてやろうみたいな意識になるんだよね。でもそれはすごく重要というか、大切なことだと思いますよ。
ランドフェス西小山 池澤龍作×飯森沙百合×ケンジルビエン ©田村融市郎
−−ミュージシャンにとってはイヤな環境?
多分イヤだと思うし、こんなところで出来ねえよって言われるんじゃないかな。でもそれが面白いというか、もっと言えばそれが基本なんじゃないのっていう気持ちもある。与えられた環境がないとできませんよ、なんてのはウソだと思うし、即興なんだから。別にドラムじゃなくたっていいし。体ひとつあるんだからなんか出来んだろ、みたいなの、あるじゃないですか……まあ、ないかもね(笑)。真面目な話、それぞれのスタンスにもよるんじゃないでしょうか。最大に良いパフォーマンスができる環境を選ぶことは大切な事だと踏まえたうえで、自分の場合に関していえばそれが面白いというか、もっと言えばチャレンジだと思うんですよね。与えられた環境がないとできないと言う自分の枠を超えてなにが出来るだろう?なんかそういう環境のほうが燃えるというか。乗り越えれば、その環境によって新しいことが引き出されると感じます。でも、それができるのもランドフェスのスタッフやコンセプトへの信頼感あっての事だと思います。
−−そういう池澤さんの考え方って、どこにルーツがあるんですか。Ok.hp.JAM(※5)とか…
それはね、やっぱり洞窟で山海塾を観てたりとか(笑)。まあOk.hp.JAMで培ったってのもあるし、体一つで行って、その場で材料集めて、作品作ってくみたいなのが好きなんでしょうね。それこそ何にもないんだったら、この箱に小銭でも入れてカチャカチャやればいいじゃんとか思っちゃうから。でも人が何か面白いことをやるっていうのは、元々すごくシンプルなところから始まっていて、それが発展していってショーになっていったわけで。根源はとてもシンプルなものなんじゃないかな。
西小山にある1級建築士事務所「m-SITE-r」の建設現場を舞台に ©田村融市郎
−−ランドフェスは、そういう池澤さんの燃える心に点火する舞台だと。
たまたまね(笑)。もちろん音量とかに制約がかかる場合もあるけど、だったら逆に小さい音で愉しくやれるやり方を考えればいい。パフォーマーだけじゃなくて、すごく狭い場所だったり、お客さんにもいろいろ制約がかかるイベントなんだけど、それも込みで愉しんでもらえれば嬉しいですね。
−−演奏中は、ダンサーの動きを見てるんでしょうか。
見たり見なかったりですね。でもそれは経験でそうなっていったというか、あまり考えないようにしようと。最初はなんかこう、合わせようみたいな意識もあったりしたんですけど、今はあまり考えないですね。合わせてもいいし、合わせなくてもいい。お互い存在してりゃいい。
−−ダンサーと共演することで呼び覚まされるものってあるんですか。
ありますね。やっぱり時間の感覚とか、全然変わりますね。ランドフェス中延で共演した南雲さんも、タイムラインが全然違っていて面白かったし。動いていくスパンが違うっていうか。一緒になって動くことで、こういう交わり方をするんだなとか、やりながら自分で発見していくっていうところがあります。
あと、ピアニストの板倉(克行)さんと演奏するようになってから意識が変わったところもあって。板倉さんも滅茶苦茶な人だから(笑)。でも、今も覚えてるんですけど、「ライブ中はおれの時間でもあるけど、お前の時間でもあるんだぞ」って板倉さんに言われたことがあって。よく「自由にやれば」みたいなことを言われるけど、自分だけが自由にやってればいいかっていうと、それはまた違うなと。自分が自由にやることによって誰かが不自由になるかもしれないし。他者と共演する場って、すごく繊細な時間が流れてるじゃないですか。そういうのは寄り添ったり、ぶつかったり、繊細さを感じつつも行くとこは行ったりしながらチャレンジしたことで技術や精神的な部分や色んな価値観など本当に気付かされたし、20代後半からいろんな人たちとセッションをやっていく中で学んだことですね。そこは今でも同じく学んでいます。
−−では最後に、今後の目標とか、やってみたいことを。
今までの共演者にこれからも感謝しつつ、新たな出会いも楽しみです。
バンドのライブや録音も今までで一番良いものにする。
あとは、またソロアルバムを作りたいです。
これからもいい音楽に関わり続けていきたいですね。
2015.2.16
インタビューに快くご協力頂いたバレルハウスの店主。ありがとうございました!
ロック・ブルースのレコードを楽しめるバレルハウスではライブも頻繁に行われている。是非、訪れてみて!
池澤龍作
http://two-moons.chicappa.jp/ryusaku/
幼少の頃より様々なジャンルの音楽に親しみ、ライブで体感したジャズや即興音楽をルーツに自由な発想や感覚で表現する音楽家や表現者を敬愛し、自らも志すようになる。ジャンル、スタイル、国内外を問わず様々な分野のアーティストと数多くのセッションで共演を重ね、活動範囲は楽曲の演奏から即興、CMや映画音楽の録音まで多岐にわたる。現在はケイタイモ(ex BEAT CRUSADERS)率いるプログレッシブ吹奏楽団「WUJA BIN BIN」、新感覚ピアノトリオ「Oncenth Trio/オンセントリオ」、スガダイロー率いる「リトルブルー」、鍵盤打楽器奏者の山田あずさとの打楽器DUO「MoMo」、「泉邦宏トリオ/なりゆきまかせ楽団」等の刺激的バンドやセッションで活動中。2006年にソロアルバム「Ikezawa Ryusaku」をリリース。ソロライブも荻窪ベルベットサンを中心に定期的におこなっている。
バレルハウス
http://barrel-house.net/
営業時間:19:00~02:00
住所:東京都豊島区池袋2-2-5 東仙第2ビル2階
アクセス:池袋西口C1出口を進行方向へ徒歩3分 デイリーヤマザキの先を右折 中国料理の2F
荻窪ベルベットサン
http://www.velvetsun.jp/
住所:東京都杉並区荻窪3-47-21 サンライズビル1F
アクセス:荻窪駅南口を出て目の前の線路に沿った道を新宿方面へ。青梅街道に合流してから約100M。徒歩約8分
インタビュー注釈
※1 現代美術家。インスタレーションを中心とした数多くの作品で知られる。 ※2 茨城県つくば市にあった伝説のジャズバー&ライブスペース。2000年に惜しまれながら閉店。 ※3 1986年に大谷石採石場(栃木県宇都宮市)で行われた「卵を立てることから―卵熱」公演。 ※4 川下直広(ts)不破大輔(b)大沼志朗(ds)により結成されたトリオ。2000年に解散するも、今年4月に久々に復活ライブを行った。 ※5 スガダイロー(p) 高橋保行(tb) 吉田隆一(baritone sax) ノイズ中村(MC)が中心になってホストを務める何でもありのジャムセッションイベント。
取材・構成=安藤誠 撮影=木村雅章
協力=バレルハウス、荻窪ベルベットサン